マラソンに“奇跡”は必要ない
こんにちは、上原です。
全国各地でBRCメンバーの
好記録ラッシュが続いています。
先週末は、
・フルマラソン3時間48分
→ 3時間37分 (PB更新)
・ハーフマラソン1時間49分
→ 1時間43分 (PB更新)
という嬉しいご報告…!!
本当におめでとうございます!
もうね、こういった報告を聞くのが
僕の生き甲斐なので、
これからも頑張る所存です。
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さて、ここでタイトルの回収に
移りたいと思うのですが、
「マラソンに“奇跡”は必要ない」
ということですね。
これ、どう思います?
最近はサッカーのW杯でも、
おめでたいニュースがありましたね。
「ドーハの奇跡」らしいです。
いや、素晴らしかったですね。
素晴らしい、、、けれども。
僕はなんか“奇跡”って言葉に
違和感を抱いたんです。
確かに、表層的に見たら
“奇跡”なのかもしれないけど、
実際は、
泥臭い努力の上に実を結んだ
結果なんじゃないかな、と
僕は素人目に見て思ったんですね。
いや、僕はもう
サッカーど素人なので
下手なことは言えないし、
あくまで推測でしかないんですけど。
でも、僕が長年走り続けてきた中で、
マラソンとか陸上、駅伝みたいなスポーツでも
その人が努力して勝ち獲った結果を
周りから見ると“奇跡”とか“大番狂わせ”という言葉で
片付けられてしまうことは多々あるんですね。
(特にTVやドラマは
そういった感動ストーリーを
仕立て上げるのが常套手段です)
その時に僕は、
「いや、“奇跡”じゃないよ。
“必然”だよ」
みたいに思ってしまう。笑
地道に努力を重ねてきた
現場を知っているからこそ余計に。
特にマラソンは、
本当に誤魔化しが効きませんから。
それまで積み上げてきたものが
そのまんま結果に現れます。
まあ、当日の気候コンディションとかで
影響する部分もありますが、
それは全体の1割にも満たないでしょう。
要は、
マラソンのスタートラインに立った時点で、
レースの結果っていうのは
9割方決まっているんですね。
そこまでの準備が
結果のほとんどを左右する。
だから、僕はマラソンに取り組む上で、
あるいはマラソンの指導をする上で、
“奇跡”っていう概念は
ほとんど持っていません。
“奇跡”に期待することはないし、
たとえ、良い結果が出たとしても、
「なぜ良い結果が出たのか」
を分析しないといけない。
“奇跡”なんてフンワリした言葉で
済ませてはいけないのです。
訳も分からず良い結果が出たら
その瞬間は嬉しいかもしれませんが、
おそらくそれは本人の実力を超えたものだし、
同じ結果を再現することができない。
「再現性」という観点から言えば、
戦略を持ってトレーニングし、
“狙って”結果を出すことが重要なのです。
それが「本物の力」だと
僕は考えます。
冒頭に紹介した
自己ベストを更新したBRCメンバーも
やっぱり戦略的に練習していましたからね。
「これだけの練習をやったから、
今回はこのような結果になったよね」
っていう分析ができるし、
次に活かすことができる。
逆に、
「◯◯の練習が不足していたから
今回は後半失速してしまったよね」
という課題の発見もできる。
結局はこの繰り返しなんですよね。
なんかドラマチックさのかけらもない話で
申し訳ないのですが、
現実はこんなものです。
そりゃもう、超〜泥臭い。
でも、だからこそ、
本当の“奇跡”が際立つんです。
漫画のワンピースでイワンコフの
「奇跡は諦めない奴の
頭上にしか降りてこない」
というセリフがありました。
ボーッと突っ立てても“奇跡”は起きないし、
そんなことより、地に足着けて
目の前のことを淡々とやっていくしかない。
その日々の積み重ねの中にしか
“奇跡”は生まれませんし、
一見“奇跡”のように見えても、
そこには何かしらの“必然性”があると
僕は思っています。
というか、
“必然性”を見出そうとする。
その態度が、
自己成長と向き合うランナーの
誠実な在り方だと思うんです。
はい。
というわけで、
今シーズンもまだまだ
レースは続いていきますが、
今回の話が
何かしら参考になれば幸いです。
それでは、また。